祈りの先にいる人
3月16日、森田剛くんが結婚しました。
知ってから丸一日近く経って、胸にあるものを文字にして記しておきたくてこれを書いています。
先に行っておくと、私は心からおめでとう、と言えた派です。
思うことはあるけれど、祝福の気持ちに嘘はない。
もしも偶然にこれを目にして、不快に思ったり気持ちが落ち込んだりした方がいらしたらごめんなさい。
事故だと思ってください。
人はひとりひとり別の人間なので、共感ばかりを求めても詮無いことです。
その日、つまり3月16日は職場のパートさんの一人が退職する日でした。
午前のみの勤務なので、13時からちょっとしたお別れのセレモニーをして、いつもより昼休憩をとるのが遅くなった。
同僚と食堂に向かい、席についてスマホを開いて、ほぼ同時に向かいに座った彼女が言った。
私の目にも、検索サイトのニュース画面にその文字が確認できました。
そして顔を上げると、離れたところにあるTV画面にも。
食堂内に小さなさざめきが広がるようでした。
時間が遅くて人は少なかったけど、たぶんその場にいたのは30overの女性がほとんどで、皆が驚いた様子でTVを見上げていた。
指先が冷たい、と最初に思いました。
それから鼓動の異常を認識して、それがどういうことなのか考える前にスマホの画面に触れて事実確認。
最初に思ったのは、「今なのか」。
交際はもちろん知っていて、別に反対ではなかった。
でも結婚はしないんじゃないかと思っていたし、するとしてももっと先だと考えていた。
それはすでに新曲の発売が近い将来に控えているからで、岡田くんの結婚から間がないからでもあります。
次に思ったのは、「また嫌な発言を目にしなきゃいけないのか」でした。
剛くんはラジオもやってないしブログもしないし、それでも気配のようなものを感じたくて私は毎日、「剛くん」で検索して見知らぬ人たちのツイートを読む。
そうすると森田剛くん以外の剛くんの話もたくさん引っかかってくるけど、「剛くん」だと攻撃的で否定的で胸が悪くなるような内容は多少、避けられるから。
それでも、過去に報道があったときはいくつものそれを見た。
プロ意識が、と。
アイドルなんてやめろ、と。
ファンを馬鹿にしているのか、と。
私はそのどれにも共感なんてできないし、目の前にいたら発言者を殴りたいとすら思っていました。
いつも、私を痛めつけるのは熱愛報道なんかではなくて、そういうファンを自称する人たちの悪意です。
ファンだからこそだとその人たちは言うし、ファンの定義なんて知らないけれど、ファンを大事にしろというその人たちは剛くんに大事にされるべき存在じゃないと私は思ってしまう。
美しい、楽しい、あたたかい、清らかなものに囲まれていてほしいのです。
そうはいられない世界だとわかっているから、私は祈る。
その祈りを打ち崩すような言葉を、また目にするのかと思うと息が詰まりました。
ああ、だから指先がこんなに冷たいのかなと、スマホを見ながら私はぼんやり思っていました。
でも同僚から「食べないの?」と訊かれて食欲がまるでないことに気づいた。
あれ?
何だろう、これは。
もしかしてショックを受けてるのかな、おかしいな。
自分がわからなくなりました。
悲しくはなかったのです。
あたりまえですが怒りなんて微塵もなかったし、おめでたいことだと思っているはずなのに。
何とか食事を終えて、仕事に戻ると隣の席の先輩から声をかけられました。
職場ではこの先輩だけが私が剛くんが好きだと知っていて、心配してくれたようでした。
大丈夫です、と私は答えた。
喜んでますよ、ちょっと早くてびっくりしたけどそうなるだろうと思ってたし、と。
嘘ではなかった。
でも全部の気持ちではなかった。
それは悪いことではないでしょう?
私は変化に弱い人間です。
変化しないことも気持ちが悪くて苦手なのに、いざその瞬間には足がすくむ。
おそらく、私は怖がっているのだと思います。
結婚によって、変わってしまうものを勝手に想像して怯えているのです。
それは良い変化なのかもしれないのに、今はまだ怖い。
剛くんが見せてくれる、ダンスや歌はたぶんずっと素晴らしいままでしょう。
それは大丈夫、信じている。
お芝居だってきっと良いほうにしか変わらない、それも信じられる。
じゃあ何が怖いんだろう。
一夜明けて、確かではないけどもしかしたら、と思うのは、やはり剛くんへ向かう人々の意識なのではないかということです。
私はいわゆる出戻りです。
離れたのは、ある時、やはり変化を感じてしまって見ていられなくなったからでした。
剛くんの変化ではなく、メンバーの変化でもなく。
V6というグループへの人々の意識の変化です。
国民全員に聞いて回ったわけではないから、もちろん私が勝手に思っていたことですけども。
逃げ出したのだと思います。
ちょうど私個人もいろいろな問題を抱えていて、それを乗り越える力をもらいたくてV6を、剛くんを見てもあの頃はかえって何かを削られるような気になっていました。
何度も言いますが、私が勝手に感じていただけですけど。
戻ってよかった、と思いました。
多聞に漏れず20周年から出戻りです。
その年のツアーには間に合わなかったけど、去年は1日だけですが入れました。
私は、幸福しかもらわなかった。
誰が何と言おうと、私は剛くんに苦しめられたことなんかないし裏切られたなんてありえないし、待つ時間だって楽しい。
だから今度は逃げたくないのです。
どんな波が来ても。
我ながらまとまりのない文章を書いています。
でも今日のこれは勢いでいいか、とも思います。
とにかく私は怖い。
でも逃げる気がないから怖いのだと思う。
逃げずに何をやるのかといえば、私はやはり祈ることだけです。
近くにいる大切な人には、ほんのわずかでも力を貸すことはできるでしょう。
結果として役には立たなくても、何かができる、その可能性はある。
でも、こんなにこんなに幸福を願ってやまない剛くんに私は何にもできないのです。
CDを買う、雑誌を買う、舞台を見る。
それはできるけど、それは言ってしまえば自分のためでしょう。
自分が聞きたい、読みたい、見たいからそうする。
貢いだとかお布施だとか言う人たちもいるけど、私個人はそういう風には考えていません。
私が選択して、そうしたのだから。
なら、剛くんのためにできることなんて祈ることしかない。
私はそう思うのです。
異論はあるでしょうし、もっと多くのことができる人がいることは承知しています。
私には、祈ることしかできないのです。
担降りするという人、お疲れさまでした。
責める気持ちはありません、どうか静かに穏やかに去って行かれますように。
愚痴垢の人、気を鎮めていただけませんか。
それは誰も幸せにはしないのだと私は思います、あなた自身も。
悲しみや落胆でかつての熱を失ってしまったという人、健やかに。
もしも叶うなら、時が過ぎて再び同じものを見て幸福を感じられるようになっていてほしいです。
森田剛くんは、私の大切な存在です。
仕事で落ち込んで、人との軋轢で喘いで、もう何もかも嫌だと思う日にも私を歩ませてくれる人。
笑っていてほしい人。
どうか少しの傷も痛みもないようにと願う人。
今、ちょうど流れている Good Life に泣きそうになっている。
あなたがずっと信じたことが報われますように。
あなたが大事にしたいことがあなたを護ってくれますように。
美しい、楽しい、あたたかい、清らかなものに囲まれていてください。
そう願って止みません。
心から。