「だいすき」でいい

ONENSコンDVD発売から、今日で1週間。

いろいろあったなぁ…と思う人も多いのでは。

出来事というより、感情が忙しかった。

 

ひとつ前の記事を消しました。

あまりにも気持ちも文章も乱れていて、我ながら気持ち悪かったので。

負の感情がいちばん強い時に書いたんです。

それは剛くんにではなくて、もちろん剛くんの家族になった人に対してでもなくて。

怒っていて、もやもやしていて、それをぶちまけたいけど「冷静になれ」と自分の中から声がして、せめぎあった挙句に気持ちの悪い文章になりました。

 

うっかり読んで不快になられた方は、もうここには来ないと思うので伝わらないでしょうが申し訳ありませんでした。

本当に。

 

 

忙しかった感情の流れを追ってみることにします。

最初の記事とは齟齬があるかもしれませんが、あれは勢いの産物だから。

 

16日の午後、知る。

驚きと、先への不安に血の気の引く思いがする。

WSで映った笑顔の写真を見て、おめでとう、幸せでいてね、と思う。

帰宅後に友人からLINEで「結婚したね!」と言われ、その無邪気さに笑えてくる。

剛くんめ、と思ったんです。

愛をこめて、「剛くんめ、やりやがったな」と笑ってしまった。

2月だ4月だとマスコミが騒いでいて、こう来たかよ、と。

それからいつものように「剛くん」で検索して、全体的に祝福の声が多いことに安堵。

ちなみに私調べなので、実際はどうだかわかりません。

よく拝見しているアカウントも確認しました。

シンプルな祝福の言葉か、何も触れていないか、更新していないか、だった。

今後の売り上げのこととか担降りが増えるだろうとか心配する声もあり、それはそうだな、と思いました。

あとは、根拠もなく「反対したのに無視され」「傷つけられて」「尻拭いをさせられる」ことにされていたメンバーふたりに心から申し訳なくなっったりして。

朝、家を出るころは帰ったら特典DVD見ようと思ってたのに何となくその気はなくなってました。

すごく意味不明だけど、「今日くらいはそっとしといてあげよう」と思ったので。

誰を?何を?

本当に謎です。

 

17日、起きてズムサタつけたらどうやら報道は終わってた。

起きてズムサタつけるのは習慣なので、何も考えてなかったんですけど。

ネットニュースで、井ノ原くんと健くんのコメントを読みました。

井ノ原くんのコメントはストレートに明るいもので、「出会った時の剛は小学生だった」という認識が改められていてよかった、とどうでもいい感想を持ったり。

健くんは、どうも私は鈍いようで他の方のツイートを見て気づいたんですが、明らかなその単語は避けたんですね。

おめでとう、とも言ってない。

私は、「親愛なる」「これまで通り君の幸せを常に祈っています」で、胸がいっぱいになりました。

実はちょっと、坂本くんからのコメントを期待してたんだけど。

歳の近い二人を選んでるんですかね、いつも。

切なくもあたたかい気持ちでベッドから出てサタプラの丸山くんの発言に笑って、出だしは良かった。

でも、その後に予想していた「DVD売ってから発表とか汚い」とか「まだ見てないのに、もう見る気なくした」とか「金返せ」とかに出会ってしまって。

気分が下降する中、勢いのままブログを綴りました。

 

その日の午後は、知人の結婚披露宴に出席。

何だろうなぁ、と思いました。

いったい何で私はあんなことがあった翌日に、さほど親しくもない相手の披露宴に出席してるんだろう、と。

ちょっとトラブルを起こした人で、呼べる相手があまりいないというので断れなかったんですが。

よく晴れた日で、披露宴会場は高台に建つホテル。

大きな窓から港が見下ろせました。

きれいだな、と思った。

「いい天気でよかったね」と言ったら、一緒に付き合いで出席した人が「正直あんまり祝える気になってないけど、いい日だからそれに乾杯する」と笑いました。

今、見ている世界はとてもきれいで穏やかで。

剛くんはどうしてるかな、と思いました。

披露宴の間中、そんなことばっかり考えてた気がする。

新郎新婦ならびに両家の皆様には、申し訳ないことをしましたが。

 

気持ちが明るかったので、その夜は特典DVDを見ました。

Bの方。

 

18日、いつもより早く起きていつもは見てない番組にチャンネルを合わせる。

東山さんはきっとコメントするはずで、そしてそれは絶対に剛くんにとって優しい言葉に間違いないから。

ありがとうございます。

とても嬉しかった。

結構、どの局も番組も祝福してはいるけど、剛くん寄りではなかった気がするんです。

この素晴らしい女性に選ばれたのは彼!みたいな取り上げ方で。

東山さんは、まず剛くんを語ってくれて、だからだよ、と言ってくれたのだと思う。

事前の報告はあったのかな?

わからないけど、東山さんなら事務所幹部として聞いてたのかな。

 

いろいろ片付けなきゃいけないことをして、合間に特典DVDを見るという休日。

こんな日には死ぬほど簡単で貧乏くさいけど密かな好物であるツナのパスタにしようとお湯を沸かしつつ、TVをつけると上沼恵美子さんの番組だった。

たまに見てるんですけど、この日はたぶん梅宮さんのケガの話をしてました。

で、すぐだったかな、間にほかの話題があったか忘れたけど、「おめでたいニュースです」と。

ちょっとドキドキ。

実は岡田くんの時も偶然この番組を見たんですが、あんまり祝われてなかったような印象だったんです。

いや、気のせいかもしれないし普通におめでとうございますとは言ってたけど。

今回は大丈夫だった。

剛くんに会ったことはないけど印象はよかったみたいで。

やっぱり悪く言われるのは辛いから、ほっとした。

 

そうしていい気分で昼食を終え、そして。

春先の自然公園から一気に荒野へと転がり落ちるような、そんな精神状態で消した記事を書きました。

悲しいね、嫌だよね、受け入れたくない、それはわかる。

同じ気持ちにはなれないけど、私だってわかる。

反論したいです。

でも、私を荒野に追いやったあの酷い言葉の羅列を生み出した人たちは、こんなとこは見てないでしょう。

見たとしても、振り返って考えてはくれないでしょう。

だって、剛くんは、V6は、いつもファンに会いたいと言ってくれる。

コンサートで会えたら、会えてうれしいと言ってくれる。

笑って、と歌う。

何度も何度も、ともに、という言葉をくれた。

フォエバコンの「いつも、そばに」を思い出すたびに私は涙ぐみそうになる。

リボンシャワーの中で座り込んでメッセージを読んでいた、剛くんの背中。

同じように見たはずなのに、それでもあの言葉たちが出てくるというならもう、それまででしょう。

もう、何を言ったって届かないでしょう。

 

誤解してほしくないのは、祝福できないことを責めているのではない、ということです。

祝えよ!それがファンだろ!なんて思ってもいません。

本当を言うと、私だって剛くんがひとりの女性と恋をしてその手を取ったと考えれば胸に刺さるものはあるのです。

でもそれをはるかに上回るほど、剛くんが家族を得て幸福に包まれることが尊く眩しいと感じられるから。

もっと幼い時、私も想う人の幸福を願えずそれどころか何か悪いことでも起こればいいのにと思ってしまった経験があります。

そんなものとは比べられる話じゃない、と思うかもしれない。

でも、大事な人に刺そうとした棘は自分の中にこそ残るのだと思うのです。

 

夜。

いくつかのツイートに今度はとても美しいものをもらいました。

あの方たちのように、ありたいと思いました。

私はツイッターをやってないけど、話してみたいからはじめてみようかな、とか迷っています。

それから剛くんファンの方のブログをふたつ読んで、またほっとして。

去年のクリスマスイブのことを思い出しました。

剛くんを見ていました。

舞台の上の、剛くんが演じるひとりの男性の喜びや悲しみを見ていました。

あたたかな光の射す中、花びらが舞っていました。

もうすぐ四月が来る。

あの花びらが、誰の上にも降り注げばいいのに。

 

もう、剛くんを失ってしまった人たちには早く次の四月が来るといい。

まだ一緒にいたいと、見ていたい、離れたくないと思って、それでもどうしても「おめでとう」とは言えないでいる人たちもいるのでしょう。

いつも愛にあふれたツイートで楽しみに拝見していたアカウントの方も、苦しんでいるようでした。

いいんだと、思います。

おめでとうじゃなくて、「だいすき」と思えたらそれでいいんだと私は思う。

剛くんの幸福を、本当はひとつだって減らしたくはない。

 

だからできるなら、これからもともに在れたらと、そう願ってやみません。